こんにちは。
インビンシブル吉岡(@invincible_ysok)です。
世間には様々な会社があります。
中にはブラック企業と呼ばれるような、労働者から搾取(さくしゅ)することにより、利益を得るような非人道的な会社も存在します。
そのような会社に入ってしまった場合、毎日長時間労働を強いられ終わらない仕事に忙殺され、数少ない休みは疲れを取ることだけに終始し、ロクに趣味も持てないような悪循環に陥る事例も多々あります。
そんな思いで就職した結果がモノの見事にブラック企業だった場合、果たして音楽活動を継続することは可能なのでしょうか。
という訳で今回、我々は社畜として仕事第一で働きつつバンド活動もしていたという方に接触し、独占インタビューに成功しました。
インタビューを通して、仕事とバンド活動の両立について考えていきたいと思います。
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インタビュー実施
インタビュー当日、待ち合わせ場所にやってきたのは、元社畜バンドマンの吉岡よしお(仮名)氏。
※プライバシー保護の為、画像を一部加工しております
バンドをしているとは思えないような、一見してどこにでもいそうなごく普通の男性です。
では早速、インタビューを実施したいと思います。
社畜とは
では早速、お話を伺いたいと思います。
今回は「仕事とバンド活動の両立」がテーマなのですが、よしおさんは社畜として働きながら、一方でバンド活動も継続していたとのことですよね。
実際、そのようなことは可能なのでしょうか?
確かに私は以前まで、どこに出しても恥ずかしくないぐらいの立派な社畜をしておりました(笑)。
そんな中で、並行してバンド活動していたのも事実です。
実際のところ時間の制約もありますし、なかなか難しいとは思いますが、仕事とバンド活動はそれぞれどのようなスケジュールでされていたのでしょうか。
忙しい時は1ヶ月の残業が100時間を超えることは珍しくなかったですね。
それって労働基準法的には…
どのように36協定の特別条項が締結されていたのか詳細は忘れましたが、私が退職後に労基が入ったと風のウワサで聞きましたので、まぁダメだったのでしょう(笑)。
土曜は休日出勤することもそれなりにあったので、唯一の休みはスタジオ練習で終わることが多かったですね(笑)。
それだけ仕事が忙しいと、バンド活動に支障は出なかったのでしょうか。
平日はほぼ練習できないので、スタジオ練習とライブ以外ではほとんどギターを触っていなかったと思います。
そうなると腕も落ちますし、自分自身ヘタになっていくのがすごく悔しい。
また、仕事の都合でスタジオ練習をドタキャンすることも何度かありました。
ライブのドタキャンが一度も発生しなかったのはラッキーでしたね。
もちろん、ドタキャンにならないよう事前に社内で根回しはしていましたけど(笑)。
こんな生活に意味はあるのか、と自問自答したこともありました。
当時、社畜レベルが高かった私は
「俺がやらなければ、誰がやるんだ」
とか思っていまして…
とにかく仕事を最優先で頑張ることこそが正義であると思い込んでいたんですよ。
そのためには残業時間なんか気にもしないし、むしろ残業時間が多いことがカッコイイ、みたいな(笑)
社畜の社畜たる所以ですね(笑)。
しかし気が付けばいつの間にか生活のほとんどが仕事に支配され、合間のわずかな時間を捻出してバンド活動にあてるようになっていきました。
自分の置かれた劣悪な環境に違和感を覚えない。
それどころか、その環境で働くことにある種の誇りすら感じることもある。
こうなると残念ながら一人前の社畜になっていると思います。
仕事とバンド活動の両立について
月100時間クラスの残業をしながら週一回ペースでバンド活動をすることだけでも、なかなかキツそうだなぁという印象は受けたのですが…。
ズバリ、その中でも一番ツラかったのはどのような時だったでしょうか。
その前まで組んでいたバンドが自然消滅のような形で活動をしなくなったのです。
他のメンバーはそれぞれ新しいバンドを組んで活動していたようですが、私はバンド活動をせず、より一層仕事だけに打ち込んでいました。
そしてある年の年末に、前バンドのドラマーから連絡があり、
「ギタリストをクビにしたので、代わりにギターを弾いてほしい」
という依頼がありました。
また、1時間強のステージが2セットあるということで、指定する曲を26~27曲覚えてほしいという依頼でした。
仕事も年末の繁忙期真っただ中で、毎週休日出勤のような状態だったので、さすがに断ろうかとも思いました。
ただ、このドラマーは今まで長年一緒に活動してきて気心の知れた相手だし、直前にライブをキャンセルすることのリスクも分かっていたので、
- できるだけ頑張るけど全曲覚えられる保証は無い
- 私自身ライブに関して1年以上のブランクがあるので、当日どうなっても知らない
ということに了承して頂き、引き受けることとなりました。
まぁ最終的には、とにかく必死さが半端なかったので断るのが申し訳なかったというのが決め手ですね(笑)。
少し話はそれますが、なぜそのバンドはそのような大事な時期に、前任のギタリストをクビにしたんでしょうね?
ただ全員の予定を確認した上で大晦日のライブを入れたのに、いざ決まると「俺その日無理^^」と言われたらしいので、そのままクビにしたみたいです(笑)。
まぁ、バンドマンって…色々な人がいますからねぇ(笑)。
では話を戻しまして、依頼を引き受けたよしおさんは、ライブまでの間はどのように過ごしていたのでしょうか。
通勤時や昼休みの休憩中、ご飯を食べている時、果ては睡眠中まで(笑)。
本当に仕事中と風呂に入っている時以外は、ずっと曲を聴いていました。
睡眠学習に効果があったのかは、よく分からないですけどね(笑)。
覚えないといけない26~27曲は全て洋楽ロックのカバーだったのですが、幸いにもこのうち4~5曲は今までに弾いたことがあったので、すぐに思い出すことができました。
残りの曲についてはiPhoneでセットリストを作ってずっと聴き流し、構成を覚えたものからセットリストから外す、といった流れで暗記していきました。
年代的に昔の曲が多めだったので、単純にコピーするにあたっての技術的な難易度が全体的にそこまで高くなかったことも、ラッキーではありました。
リストの中で一番コピーに手間取ったのは、Guns N' RosesのParadise Cityあたりでしょうか。
ライブの中身ですが、まぁ大晦日でお客さんも大半が酔っていらっしゃることもあり、それなりに盛り上がって頂けたのではないかと思います。
演奏自体の出来に関しては、察して頂けると嬉しいですが(笑)。
ちなみにこのバンドは、今よしおさんが組んでいるバンドと同一なのでしょうか?
この時仕事が忙しかったこともあり、私としてはあくまでカウントダウンライブ限定の参加であり、新ギタリストが見つかるまではその後も時間の許す限り練習に参加してもいいけど、本メンバーになることは考えていなかったんですよ。
ただ年明けからどんどんライブが組まれていきまして、「これじゃ本メンバーみたいなものじゃないか」と思っていた時に正式に本メンバーになるよう依頼されたので、そこで正式に加入して今に至る、といった流れです(笑)。
そう考えると、なんだかんだで仕事とバンド活動の両立って何とかなるものなんですかね。
何とかなるとは思いますけど…やっぱり、それなりにしっかりとした活動をしたいのであれば、仕事は選ぶべきですね。
社畜だった頃の私はほとんど練習もできていないですし、いわば過去の遺産で何とかなっていたようなものですので。
私もそうでしたが、音楽をしながらフリーター等でフラフラしていた人間が仕事を選べるかというと、結構難しいところはあると思います。
私は特に何も考えずにこの会社に入ったのですが、難しいとはいえ事前にしっかりと調べてから就職を決めた方が良いと思います。
そうも言っていられないなら、とりあえず数年間は仕事を優先して頑張って、手に職を付けキャリアを積んでからもっと待遇の良い会社に転職する、という流れが良いのではないかと思います。
いくつになっても音楽はできますからね。
まぁ、その頑張っている間に社畜に染まってしまい、音楽を完全に辞めることだけは避けてほしいですけどね(笑)
「元社畜」の今
よしおさんは「元」社畜であるということで現在はその当時の会社を退職し、別の会社で働いていると伺っております。
何をもって社畜ではなくなったのか。
また、退職するに至った経緯を教えてください。
そしてそれを、特におかしいとも思わずに数年間やってきたんですよね。
なんせ社畜なんで、長時間労働に関しても「しんどい」と思うことはあっても、「おかしい」とまでは考えが至らなかったのです。
また、私のいた業界は長時間労働が常態化していたので、「確かに残業は多いけど、残業代が出るだけマシ」とも思っていました。
下請け業者の方々は、似たような時間働いても残業代がほとんど出ないところも多いと聞いておりましたので。
「上を見て、そこを目指そうとする」のではなく「下を見て、自分はまだマシだと安心する」という考え方が、広く浸透しているのではないでしょうか。
ある時から、所属する部署内での工事部門の責任者に抜擢されました。
これが、私が退職を決めるきっかけであったと思います。
今までと同様に自分の担当する工事を管理しつつ、部下となった社員さんの担当工事も含めて全てを統括管理することとなり、忙しさは増しました。
加えて、下請け業者さんとの費用交渉も業務として加わってきました。
メンタル的には、このお金の交渉が一番キツかったですね。
そしてそこから溜まった事務仕事を処理します。
夜から深夜にかけてお金の計算をし、邪魔が入りにくい土日に出社して業者さんとお金の交渉。
そして業者さんからは「安過ぎる」と叩かれ、上司からは「高過ぎる」と叩かれる。
業者さんが納得するか、上司が承認するまで計算と交渉の繰り返しです。
忙しい時は工事は1ヶ月あたり数件~10件弱は動いていたので、もちろん全ての工事に対して同様の処理が必要です。
これをずっと続けていると、いつか身も心も壊れてしまう。
そのように感じました。
また、業界全体の将来が不透明であり右肩下がりの状況が続く中で、果たしてこのまま定年まで続けていくことができるのだろうか、と個人的に思ったこともあり、最終的に転職という決断をしました。
仕事のキャリアもリセットされたので、覚えることも多くそれはそれで大変です。
しかし比較的コンプライアンスに対する意識が高い会社に入る事ができたため、仕事は頑張りつつもプライベートの時間もしっかりと取ることができる環境に変わり、充実した毎日を送っております。
今となっては、なぜあんなにひたすら長時間働いていたのか、自分でも理解できないぐらいです(笑)。
もう一度前の会社に戻れと言われても、もう無理でしょうね。
私自身、そんなにメンタルが強い人間ではなかったということが、逆に良かったのだと思います。
もし強靭なメンタルの持ち主であれば、転職をせずに今も長時間頑張っていたかもしれませんから。
あと、やはり心のどこかに「もっとギターを弾きたい」という感情が残っていたのだと思います。
しかし、転職で全てが上手く行くとは限らないということも、一つのリスクとして考えておく必要はあるかと思います。
転職したことにより更に環境が悪くなる可能性もありますし、人間関係もリセットされます。
そもそも、転職先がなかなか見つからない、ということもあるかもしれません。
私の状況を見てみると、勤務日・勤務時間は不規則になり、給料も年収ベースで見るならばわずかですが減りました。
しかし残業が大幅に減ったため、プライベートの時間が大幅に増えました。
私の場合トータルで考えて、転職して良かったと思っています。
仕事とバンド両面での、今後のご活躍を期待しております。
最後に
今回インタビューを快く受けて頂いた吉岡よしお(仮名)さん。
去りゆく背中は、「サラリーマンでも、自分のやりたいことを自由にやっていいんだ」という自信に満ち溢れていました。
勿論、仕事一筋に生きることも決して否定できるものではなく、自分の意思でその道を追求するのであればそれは素晴らしいことであると思います。
一度しかない人生、やりたいことをやった者勝ちであると改めて認識できたインタビューでした。
今回のインタビューで分かったのは「仕事が忙しくともバンド活動は可能だが、なるべく仕事を選んだ方がいい」という、これだけ長々と続けた割に考えたら誰でも分かることでした。
もし仕事とバンドの両立に悩んでる方がいらっしゃいましたら、一度「自分が本当にやりたいことは何か」を考えてみて、変化に伴うリスクも考慮した上で悔いのない選択をして頂けたらと思います。
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